お稲荷さまと験(しるし)の杉のいわれ
今を去ること1300年、和銅4年(711年)2月の午の日に、稲荷という神さまは初めて日本に鎮座されました。これを記念して、2月の初午をお稲荷さまの大祭とし、そのお参りのしるしとして稲荷の親睦である杉の小枝を富の気として授かる習わしです。

「山城国風土記」によりますと、1300年前に京都の地には中国大陸から移民してきた「秦(はた)氏」が絶大なる富をもって君臨していました。
その投手であった伊呂具秦公(いろぐのはたのきみ)は、当寺貴重品かつ神聖であった餅を、こともあろうに射撃の的にしてしまいました。いられた餅は白い鳥となり、山に飛び去るという霊異を表したのです。神罰はてきめんで、秦一族は急に衰えてしまいました。彼らは愚行を悔い、餅が飛んで行った伏見の山に行ってみますと、山中に忽然として稲穂が実っているではありませんか。秦氏の人々は神の存在と力を目の当たりにしし、心からの反省とお祀りをすることを誓うのでした。
人々に衣食住を恵む稲成りの神が、人の前に現れたのはまさにこのとき。2月の初午の日でした。
この山は「いねなり」の霊異から稲荷山とよばれ、現在の伏見稲荷であります。
秦氏の人々はそこに生えていた杉を引き抜き、邸に植えて丁重なお祀りをしました。これによって秦氏は勢力を盛り返し、子孫たちは代々、伏見稲荷の神職として仕え、栄えるようになります。彼らの領地は平安京という首都になり、都の人々は富貴繁栄をもとめて2月初午には稲荷山を参詣、杉の枝をいただくことが現在も行われています。
この験の杉をいただくことは、稲荷信仰の源流と絶えることのない神徳に触れる尊いことなのです。